戦後81年の当たり前の幸せ
81年目の終戦の日に。
今日、8月15日は終戦の日です。
日本で戦争が終わって、81年。
「81年」という時間を長いと考えるのか、短いと考えるのか。
でも少なくとも、私たちはこの国で、戦争によって日常を奪われることのない時間を81年間、積み重ねてきました。
私が20代の頃、海外で医療活動をしていた場所には、内戦の傷跡が色濃く残っていました。
戦争が終わっても、すべてが終わるわけではありません。
そこには貧困が残り、差別が残り、人と人との間に深い傷が残る。
大切な人を奪われた記憶は消えず、憎しみが次の憎しみを生み、その連鎖がまた新しい争いにつながっていく。
戦争は、終わった日からすぐに「過去」になるわけではないのだと思います。
私の祖父も、戦争で片腕を失いました。
子どもの頃から、片腕のない祖父の姿は私にとって当たり前でした。
けれど、その「当たり前」の姿の向こう側には、戦争というものが確かにありました。
「戦争を起こさないために武器が必要だ」
「国民を守るために核兵器が必要だ」
そんな議論があります。
国を守ることも、現実の国際情勢を考えることも、もちろん簡単な話ではありません。
それでも私は思います。
武器なんてない社会のほうが、いいに決まっている。
核兵器なんてない世界のほうが、いいに決まっている。
戦争なんてない世界のほうが、いいに決まっている。
それは政治や思想よりも前にある、とても素朴な願いです。
そして今、私は在宅診療の現場で、毎日のように「一人の人生」と向き合っています。
もう長く生きられないかもしれない人。
家族に囲まれて最期の時間を過ごす人。
一人で暮らしながら、静かに人生を終えていく人。
たくさんの方の、生ききった人生に出会ってきました。
そのたびに思います。
世界がどうなるとか。
日本がどうなるとか。
国がどうあるべきだとか。
もちろん、それも大切です。
でも、そのずっと手前にあるものを忘れてはいけない。
一人の人の命は、一つしかない。
一人の人が生きてきた人生も、一つしかない。
誰かにとっては名も知らない一人でも、
その人には、笑った日があり、泣いた日があり、
好きになった人がいて、守りたかった人がいて、
失敗した日も、どうしようもなく寂しかった夜も、
きっと誰かに優しくしてもらった記憶もある。
そんな人生を、戦争は奪います。
だから私は、難しいことを語る前に、
この当たり前のことを大切にしたいと思います。
生きているだけで、素晴らしい。
何かができるからでもない。
誰かの役に立つからでもない。
頑張っているからでもない。
ただ今日も、その人がそこにいる。
それだけで、本当はとても素敵なことなのだと思います。
81年目の終戦の日。
平和について考えるということは、
遠い国のことや、大きな政治のことだけを考えることではなく、
目の前にいる一人の人を、
かけがえのない一人として大切にすることなのかもしれません。
今日、生きていること。
大切な人が、生きていること。
誰かとご飯を食べられること。
「また明日」と言えること。
そんな当たり前の幸せが、
明日も、明後日も、
この国でも、世界のどこにいても続いてほしい。
8月15日。
ただ、そう願います。
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